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蓼科高原の御射鹿池(みしゃかいけ)は、水面を鏡にして 静寂を映していた。
蓼科が雪に閉ざされる直前、意を決して 茅野へ向かった。 いまは移動を自粛すべきとき と、重々承知している。 しかし いま動かなかったら、一生 御射鹿池をこの目にとどめることはできないような気がしたのだ。 それに、雪を抱いた八ケ岳連峰を 蓼科側から 一度は眺めてみたかった。 八ケ岳へは 壮年期に五度挑戦しているが、いずれも 清里側からの夏登山であった。
茅野駅からメルヘン街道(国道299号線)を通うバスは 日に三便だけで、それも御射鹿池には寄らない。 駅前で待つタクシーに すがるしかない。 午後の太陽が、だいぶ西に傾いている。
いいときにおいでなさった と、タクシーの運転手さんが言った。 空は澄んで 風はなく、寒さも その日はだいぶ緩んでいた。 最近は御射鹿池が人気で、紅葉シーズンには 御射鹿池へ至る「湯みち街道」(県道191号線)は ひどい渋滞だということだが、道はスイスイと走れた。 御射鹿池には、茅野駅から半時間ほどで着いた。
たしかに、東山魁夷の『緑響く』に描かれた御射鹿池のように 対岸に白馬が歩む幻想を抱かせるには、目の前にある御射鹿池は だいぶ人間の手が入った印象は受ける。 それでも わたしの目には、この池は、原田マハの『生きるぼくら』に登場する 麻生人生のおばあちゃんが大好きな場所にふさわしい、と思う。 鏡のような水面は、対岸の枯れ枝の樹木たちや 透き通るように青い空や 低い角度から射す太陽の光を、あますことなく 映しだしている。 美しい。 あぁ やっと、御射鹿池を 見ることができた。
帰路に眺める八ケ岳連峰は、深く傾いた西日を浴びて 白く輝いていた。
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