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海が見える家

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はらだみずき著『海が見える家』を読んだ。
おもしろくて、続編『海が見える家 それから』も 続けて一気に読んでしまった。
混沌のいまの世で 幸せのあり方を探しているものには、示唆に富んだ作品である。
『虹の岬の喫茶店』や『夏美のホタル』の森沢明夫に続いて、男性作家・はらだみずきを発見できた喜びを 感じている。

書店の一等地棚に並ぶ書籍は、その多くが 女性作家著だ。
女流作家と言う言葉は 死語に近く、その希少価値という意味合いを失ったいま、「女流作家」は 葬られても当然の流れではある。
ただ、いまどきの男性作家の作品に 読んでみたくなるのが少なくて、気になっていた。
読み継がれている明治・大正・昭和の巨匠は ほとんどが男性作家だから、余計 そう感じるのだろう。

この作品『海が見える家』は、主人公・緒方文哉(ふみや)が高校生のとき 衝突した父に向って放った言葉が、テーマだと思う。
文哉が 退屈な大人に見えた父・芳雄に投げつけた言葉は、つぎのようなものであった。
 「自分の人生がおもしろくないなら、なぜおもしろくしようとしないのか。
  他人にどんなに評価されようが、自分で納得していない人生なんて まったく意味がない」
この言葉は、大学入学を機に家をとびだした文哉にとっても、また 人事部長という地位の社会で 他人の評価を最重要にして毎日を送ってきた芳雄にとっても、その後の人生をどう生きるか を決めるキーワードとなる。

やっとのことで就職した会社を 一か月で辞めた文哉は、芳雄の死をきっかけに 芳雄が晩年過ごした南房総で暮らすことになる。
芳雄は 文哉が小学二年生のとき 離婚して、文哉とその姉・宏美のふたりの子供を 黙々と男手で育て上げた。
親元を離れて暮らす文哉には 没交渉になった父のその後は 謎であったが、南房総の冴えない別荘地に 父が残した“海が見える家”で暮らすうち、父のこの地での暮らしが しだいに見えてくる。
その暮らしとは、文哉が高校生のときに 父に詰った「おもしろくない人生」とは真逆の、父の「自分で納得のいく人生」だった。

詳しいストーリーは、当然ながら 語れない。
そこには、はらだみずきの真骨頂が 穏やかにドキドキする展開で ちりばめられている。
その真骨頂とは。
幸せとは何か? それは他人に選んで貰うものではないし、世間に合わせるものでもない。
それを決めるのは、広い世界中でただ一人、自分自身にだけ許された特権なのだ、ということである。

この小説を 40代はじめに読んでいたら、わたしの40代50代の20年は、人に語るに足る 充実したものになっていたかもしれない。
睡眠薬ハルシオンとパニック障害と顎関節症と、そして わがままな性格がもたらす仕事中毒とで、仕事以外の記憶が ほとんどない20年間。
この間、家内も 子どもたちも 彼らがどういう生活を送っていたのかさえ、定かでない。
あのとき、はらだみずきが サーフボードにしがみつく文哉のねばりを通して 読者に伝えようとしている「生きる技」を 身に着けていたなら、わたしは、わたしの家族との大切な思い出を、いちばんいい 家族との思い出を、築けていたかもしれない。

サーフボードにしがみつく文哉は、何度も波に乗り損ねながら、焦らず苛立たず、自分の尺度で 波に挑んでいく。
 「ーーそうだ、次の波を待てばいいんだ。
  抗いきれない波に翻弄されても、足を踏み外すように波間に落ちても。 何度でも、何度でも、くり返し・・・」