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因幡薬師さん

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運動不足気味である。
たくさんあるコロナ禍の、ひとつの禍だ。
それでも 人通りの少ない時間帯を選んで、できるだけ散歩するよう 心がけている。

朝は 六角堂を一番に、西へ。
六角通りを 烏丸を越えて、時には西洞院まで、ふだんは 衣棚通りを北へ上がる。
お寺のまち・京都は むかし、この衣棚通りに棚を並べて 法衣を売っていたことが、この通りの名前の由来だそうだ。
衣棚通りは 三条通りまで わりあい広いのだが、三条から下(しも)は 狭い路地になり、六角通りで行き止まりになっている。
この狭い路地は、「了頓図子(りょうとんずし)」と呼ばれている。
茶人・廣野了頓の広い屋敷が このあたりにあり、夜間以外は町人たちに 表門から裏門まで自由に行き来を許したらしい。
その名残が、了頓図子という。
祇園町の路地とは 一味違う、なかなか粋な細道である。

北に向かうこともある。
東洞院通りを まっすぐ上がって 御所まで脚をのばすこともあるが、二条を東に折れて 寺町通りに出ることが多い。
京都のまちなかで 寺町二条界隈は、わたしのお気に入りの場所だ。
老舗が多く、達筆な看板を眺め歩くだけでも 愉快になる。
だいたいは、寺町竹屋町にある進々堂のイートインで 一休みし、寺町通りを下がって御池まで出て 家路につくことが多い。

東へ向かう時は、ちょっと勇気がいる。
たいがいは 遠出になるからだ。
京都でいちばん好きなスポット 岡崎公園へ、行きは地下鉄で 帰りは徒歩で、時には昼食を 白川沿いの蕎麦屋「枡富」で 鴨なんばを食し、休憩場所を 京都会館内のスタバに定めて、半日の小さな旅を楽しむ。

京都は小さな都市だから、賑やかな場所は限られている。
京都駅正面周辺と、四条通り それも河原町通りと烏丸通りのあいだ、くらいか。
だから 南の方角は、大丸へ行く以外は なるべく避けている。
それでも 東洞院蛸薬師東北角にある「御射山(みさやま)公園」は 街なかの憩いの場所なので、通りかかりに しばしば訪れる。
桜の老木が二本あって、その時期になると 見事に桜尽くしに彩られる。
それに ここには、「ラジオ塔」の名残があって、古い昭和を懐かしめる。
東隣りの「高倉小学校」の運動場から聞こえる 子どもたちの歓声も、穏やかな気分に浸れる要素だ。
歩数を稼ぎたいときは、四条通りを越えて 高辻通りまで脚をのばす。
目的地は、佛光寺のときもあるし  平等寺(因幡薬師さん)のときもある。

因幡薬師さん(因幡堂)は、とても庶民的なお寺だ。
ガン封じの寺として 名高い。
『因幡堂縁起絵巻』(東京国立博物館蔵)によると、なんで「因幡(いなば)」なのかが わかる。
少将橘行平(たちばなのゆきひら)は、長徳3年(997年) 因幡国司としての任を終えて京に帰ろうとしていたところ、重い病にかかった。
ある夜、行平の夢に貴い僧が現れ、こう言った。
「因幡国の賀露津(かろのつ、現在の鳥取港)に貴い浮き木がある。それは仏の国(インド)から衆生を救うために流れついたものである。
それを引き上げてみよ」と。
行平が賀露津の漁師に命じて、波間に光るものを引き上げてみると、それは等身の薬師如来の像であった。
この薬師像を祀ったところ、行平の病は癒え、京に帰ることができた。
行平は 薬師像をいずれ京に迎えると約束して因幡を後にしたが、その後 因幡を訪れる機会がないうちに長い歳月が過ぎた。
長保5年(1003年)4月7日のこと、行平の屋敷の戸を叩く者がある。
戸を開けてみると、それは因幡から はるばる虚空を飛んでやってきた薬師像であった。
行平は 高辻烏丸の屋敷に薬師像を祀った、これが因幡薬師(因幡堂)の起源であるという。

南都における寺院勢力の強勢ぶりを嫌い 平安京内には、官寺である東寺・西寺以外に寺院を建立することは禁止されていたが、貴族の持仏堂は建立が認められていたらしい。
六角堂(頂法寺)や革堂(行願寺)のような、町堂(辻堂)の建立も認められており、因幡堂も これらと並んで町衆の信仰を集めた町堂の代表格であったのだ。
だから 親しみやすいお寺なのだろう。

因幡薬師さんの寺壁の周りには、四季を通じて 色とりどりの花々が鉢植えされてある。
因幡薬師さんだけではない。
六角通りや東洞院通りの街なかを歩くと、町家の通り沿いに 丹精込めた鉢植えの花々が 散歩を豊かにしてくれる。
詩人の長田弘が著したエッセイ『なつかしい時間』に、こうある。
「いまでも車の往来の少ない路地にはいると、玄関先などに鉢植えの季節の花々が置かれている光景を目にします。 そうした鉢植えの花というものもまた、花に託された、道を通る人への、物言わぬ、親しい挨拶の言葉です。」

コロナ禍の運動不足が生んだ、やさしい時間をもらえる “散歩”である。