オアシス |
文字サイズを変える |
|
『星の王子さま』の著者、サン・テグジュベリの作品に、『人間の大地』がある。 彼の職業飛行家としての15年間の体験を、思い出語り調に綴った 八編のエピソードからなる 短編集である。 この第五番目に「オアシス」という編があり、この編に引き込まれたわたしは、作者と一緒に とある不思議な家を訪ねることになった。
玄関先に現れたふたりの娘、彼女たちは まるで “禁断の王国の入口に立つ二人の裁判官” のように、厳格な目つきで <ぼくら>を見据えた。 やがて紹介が終わると、二人は妙に挑戦的な態度で、黙りこくって<ぼくら>に握手の手を差し出し、そのまま姿を消してしまった。
この編は、この二人の娘が醸し出す 異次元で異空間な空気、それでいて 静かなその顔のうしろに隠された、その慧敏さとにこやかさ、彼女たちに備わるその立派さが核心なのだが、わたしがこの編に惹かれたのは、彼女たちのホーム、棲み家の魅力である。
サン・テグジュベリは、この “棲み家” の魅力を、こう表現している。
ーーーなぜかというに、ここではすべてが退廃していたから、それもじつにすばらしく、
十も重なる世代の昔から、恋人たちが腰かけに行くベンチとでもいったふうに、床板は減り、
扉はむしばまれ、椅子は脚が曲がっていた。
ただ、ここでは、まるで修繕はしないかわりに、掃除は行きとどいていた。
すべて清潔に艶拭きされて光っていた。
ーーー中でも特にぼくは床板に感心した。
それは、ここに穴があき、そこは船のタラップのようにぐらついているのだが、
それでも、ちゃんとみがいて艶出しして、てらてらに光っていた。
不思議な家ではあった。
それはなげやりだとも無精だとも全然感じさせず、ただ異常な尊敬の念をおこさせた。
たぶん、年々が新たな何ものかを、この家の趣に、その表情の複雑性に、
その友誼的な空気の熱意に、また客間から食堂へ通う途中の危険に、
加えつつあるのに相違なかった。
ーーーこの穴、これはだれの責任でもなかった、これは時間がやった仕事だ。
この穴には王者のような風格が、あらゆる言いわけを頭から軽蔑する気風がそなわっていた。
ーーー思ってもごらんなさい、左官と大工と指物師と漆喰屋さんの一隊が、
てんでに冒涜の道具を携えて、このような過去の中へ乗りこみ、
一週間もたたないうちにきみが見も知らない家、
きみがよその家へ訪問に来ているとしか思えないような家に改造してしまったら、
いったいどうだろう?
それは、神秘性も奥ゆかしさも、足の下の罠も、床下の落し穴もまるでない、
一種市役所の応接間みたいなものになってしまうのではなかろうか?
わたしは、こういう “趣のある家” を知っている。 京都には、こういう家が多くある。 同時に わたしは、スクラップ・アンド・ビルドよろしく、価値ある古い家を壊して 安普請なホテルやマンションに変わっていく街並みを、目撃している。 悲しい光景である、が、そんな悲しみどころではない悲しみが、現在進行している。
連日、ロシアによる無謀なウクライナ攻撃のニュースが流れている。 戦争前のウクライナを、わたしは よく知らない。 京都の姉妹都市であるキエフの、歴史ある美しい街並みも知らない。 でも、訪ねたい国、訪ねたい街であったことには違いない。 その街並みが、無残にも いま壊されている。 難民となったウクライナの人々の かけがえのない家々が、壊されている。 オアシスだったであろう家々が、ひとりの独裁者のわがままで、壊されている。
棲み家はオアシスであり、故郷そのものである。 それを壊すことは、そこに住んでいた人たちの人生を奪うことに他ならない。 決して許されることではない。
『人間の土地』の「オアシス」編を読んでいて、このことを強く思った。
|
|