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穴太・盛安寺の十一面観音

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井上靖の小説『星と祭』に、「坂本の盛安寺(せいあんじ)というお寺が管理している観音堂に十一面観音があるらしい」と、主人公の架山が言うセリフがある。
先妻との間に生まれた17歳の少女を 琵琶湖竹生島の近くで起きたボート転覆事故で亡くした架山は、転覆したボートに同乗して 同じく行方不明になった男子大学生の父親 大三浦の影響で、近江の十一面観音に しだいに惹かれていった。
友人の画家 池野を誘って架山は、京都のホテルから車で 坂本の手前 穴太(あのう)の盛安寺に向かった。
「いいよ。本当にいい。吝(けち)くさいところはみじんもない」、これは 二人が盛安寺の客仏・十一面観音立像を前にして、池野が言うセリフである。
以前 この小説を読んだとき、いつか この観音を訪ねようと、心に決めた。
その決意は、10年の歳月のうちに 消えかかっていた。

最近、白洲正子の著した『十一面観音巡礼』を読んで、盛安寺の十一面観音像の記述に触れて、再び胸が騒いだ。
コロナ禍も下火になってきた と勝手に解釈して、意を決して 準備を進める。
京阪電鉄石坂線の穴太駅から 北東へ徒歩で5分、秘仏ながら ゴールデンウィーク中は開扉していることを確認して……

久々の外出制限なしゴールデンウィークで、街中は 人と車でいっぱい。
コトリップ先に 穴太の地を選んだことは、大正解だった。
無人駅の穴太駅で見つけた 黄色い木花、名前はわからない。



穴太駅を出ると、県道「伊香立大津線」沿いに北東に向かう。
車だけは ひっきりなしに県道に連なり、向かいの狭い片側歩道に渡るのも ひと苦労。
左手に、野添(のぞえ)古墳群や六体地蔵を確かめながら、再び県道を渡って 坂を下りる。
坂道の向こうは 琵琶湖、その対岸向こうに うっすらと三上山が見える。

盛安寺は、のどかな寺だ。
奈良や京都の寺院に慣れた者には、この長閑さが たまらなく恋しい。
いちおう 本堂裏の庫裏に声をかけ、さりげなく応対してくれた寺人に、観音さまを拝観したいのですがと告げると、収蔵庫はお分かりですね、お志はそこの透明引出しに入れておいてください、と応えて消えた。
くだんの十一面観音は 観音堂ではなく、新しくできた収蔵庫におわすことを理解した。

収蔵庫は、坂道を挟んで寺の向こう側の 観音堂の西、雑木林を背にした 小高い地にあった。
鉄扉は開け放たれ、庫内には入れないが いつでもだれでも どうぞご自由に、という雰囲気である。
庫内は 程よい照明で、思ったより広い。




四臂の、それも 錫杖を持つ十一面観音像を、わたしは初めてみた。
貞観仏と呼ぶには 穏やかなお顔であるが、凛々しさは平安初期の作を思わせる。
大津京の所在地論争のキー遺跡と言われる “崇福寺(そうふくじ)” の、唯一の遺品とみなされる この像は、古代仏のオーラを漂わせていると感じるのは、うがち過ぎであろうか。



それにしても、近江には 優れた十一面観音像が多い。
しかし、安穏と過ごせた十一面観音は ありますまい。
戦国時代の戦乱は言うまでもなく、明治政府の神仏分離政策に伴う廃仏毀釈は、仏像をこよなく愛する者にとって、悪夢以外の何物でもない。
近江でも おそらく、名もない村人たちによって、火災や廃棄の魔手から仏像を守るため やむなく川の底に沈めたり 泥の中に埋めたりして、現在に至るまで護られてきたに違いない。
そのことを思うと、今に残る優れた仏像たち それ自体の神々しさに加え、名もない村人たちの健気な信心深さに、深く頭が下がる。

近江の十一面観音を拝むたびに、このことを強く感じる。