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唐招提寺を訪ねて

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奈良へ行ってみたい。
この願望は、喧噪の日々を過ごし、体調不良に漠然と将来の不安を感じるとき、あの ゆったりと流れる奈良時間の中に遊ぶ自分を想像して、たまらなく募ってくる。
ここ 長らく、奈良を訪れていない。
あちこち歩きまわる体力を失ったわたしには、この み寺しかない。

わたしの中で「み寺」 と呼べる場所は、唐招提寺の 境内しかない。
南大門を潜って、あの 緩やかに流れる天平の甍・金堂を、正面に眺める。
なんという圧倒的な光景であろうか。

八本の吹き放しの円柱が並ぶ。
この円柱を見ると わたしは、この円柱に もたれかかりたい誘惑にかられる。
いけない いけない 危険だと、この独占欲の匂いがする誘惑を抑えて、これくらいなら と、そっと指先で年輪を辿ってみる。
光を木目のあいだに吸い込んで湛える という表現が、西洋の神殿の石柱と 根本的に異なる趣を、的確に伝える。

東大寺はすごい人でした と、醍醐井戸脇の藤棚に咲き誇る白藤の前でシャッターを切ってあげた(たぶん関東の)旅人が話していた。
ここ 唐招提寺に観光客は少なく、奈良時間が 境内隅々に流れている。
ここを訪ねる口実とした 「東山魁夷の襖絵」 の御影堂は、艦真和上命日の前後数日しか公開されないとのことで、門前から拝み見るしかできなかったが、また訪ねる楽しみにとっておこうと思う。

唐招提寺の境内は 春の日差しをいっぱい浴びて、おだやかに ゆるやかに、時を刻んでいた。