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寺田寅彦の 「団栗」

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寺田寅彦の随筆集に、『団栗』 (どんぐり)という小文が収められている。

岡潔の 『春宵十話』 を読んでいたら、次のような一文が眼に留まった。
「文学の世界でも、寺田先生の 『藪柑子集』 特にその中の 「団栗」 ほどの緻密な文章はもういまではほとんど見られないのではなかろうか。」
押入れの奥深くに眠っていると目星をつけて、中学時代に親にねだって買ってもらった 『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)を漁り出し、その 『団栗』 を読む。
寅彦が20才のときに学生結婚した5才年下の夏子は、結婚生活5年後に 忘れ形身の男の子を残して夭逝する。
この最初の妻・夏子との思い出を 5000字足らずの文章に書き留めたのが、この 『団栗』 である。

まだ十代の病弱な若妻の 初々しいわがままを(たぶん喜ばしく思いながら)あしらいつつ、気分転換にと 身重の彼女を植物園へつれ出す。
そこで見つけた団栗を 彼女は、自分のハンカチいっぱいになるまで 夢中になって拾い集める。
寅彦のハンカチまでねだって、それにも団栗を満たす。
飽きたのか、「もう止してよ、帰りましょう」 と言う。

忘れ形身のみつ坊をつれて、寅彦は あの植物園へ遊びに来て、昔ながらの団栗を拾わせた。
「こんな些細な事にまで、遺伝と云うようなものだが、みつ坊は非常に面白がった。」
「亡き妻のあらゆる短所と長所、団栗のすきな事も折鶴の上手な事も、なんにも遺伝して差支えないが、初めと終りの悲惨であった母の運命だけは、この児に繰返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。」

中学生だったわたしは、将来なりたい人物像に 寺田寅彦を描いていた。
物理学者であり、優れた随筆家であり、夏目漱石のいちばんの俳句弟子であり、バイオリンもチェロもピアノも上手に弾け、絵もうまい。
線香花火の火花の形の研究など、日常身辺に起こる現象をわかりやすく説く ”寺田物理学” が好きだった。
こんな寅彦に憧れた。

当然のことながら 何一つ 寺田寅彦に敵うものなど持てなかったが、ひとつだけ 寅彦よりちょっと幸せそうなものを、わたしは持っている。
57才で没した寅彦は二回も妻を亡くし、結婚を三回している。
わたしは、53年も ひとりの妻と一緒に過ごしてきて、78才になった今も ふたりとも辛うじて元気に生きている。
家内は、「若い奥さんを三度ももらえた寅彦さんのほうがいいんじゃないの」 と、茶化して言うのだが…。