小川洋子著 『密やかな結晶』 |
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けったいな小説を読んだ。
「けったいな」 という表現は、正しくないかもしれない。
スリラーでもない、ホラーでもない、どう表現したらいいのか、強いて言うなら 「消滅(あるいは死)への歩み」 か。
こういう表現は、小川洋子ファンを怒らせるだろう、なんにも わかっていない、と。
その小説の題名は、『密やかな結晶』 である。
刊行から25年経った作品で、「コロナ禍で病んだ人々の根幹にあるものを問う 必読の一冊」 と謳っている。
小川洋子の作品は、読むのに 少々 骨が折れる。
ふわふわっと読み切れる作品ではない。
それだけ奥が深い、とも言える。
この 『密やかな結晶』 も、読みかけて 途中で放ってしまおうかと思った。
いままで そうやって積読の山を築いてきたので、こころを入れ替えて 最後まで読み切った。
『密やかな結晶』 は架空の島が舞台となっている。
この島では、記憶が少しずつ消滅していく。
鳥、フェリー、香水、そして身体にまで及んで 左足、右腕、最後に残るのは 声だけ、その声も もうすぐ消える…
「解説」の鄭義信氏が書いているような 「最後の一人になろうとも、自由を謳うことの、生きることの尊さが、胸に迫る作品」 とは、わたしには感じられない。
駄作だと言っているのではない。
この作品を読んで 80歳を目前にしたわたしは、「死(消滅)への 歩み」 を 象徴的に自覚した。
その自覚は 恐怖ではなく むしろ穏やかで、死(消滅)をすんなり受け入れられる錯覚すら 覚えた。
鄭義信氏は 「小川洋子さんは 「消滅」を描きながら、実は正反対である 「消滅しないこと」を描こうとしていた」と語るし、著者自身も その 「消滅しないもの(人間にとってどうしても必要なもの)」は文学(小説)であることを
ほのめかしている。
読者の一人であるわたしは、消滅しないものなど何もない との思いであり、この小説を通して 一種の素直な 「諦観」として 「死(消滅)」を受け入れられたような気がする。
わたしが おかしいのだろうか。
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